人の問題の根本である罪と悔い改め!

ハレルヤ!

皆さまおはようございます(^-^)

今日は友人と会う予定があり、お休みを取りました。

では、今日も御言葉から分かち合いさせていただきます。

■ディボーション・ルカ5章7節〜20節

■御言葉(新改訳)

●ある日のこと、イエスが教えられていると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤのすべての村々やエルサレムから来ていた。イエスは、主の御力をもって病気を直しておられた。(17節)

●するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。(18節)

●しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。(19節)

●彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。(20節)

■分かち合い

エス様が福音を宣べ伝えながら、人の内に入っていた悪霊を追い出したり、病気の人々を癒して行ったりした時、

その奇跡の噂が方々に広がりイエス様が行く所には常に、人、人、人…という状態でした。

それを良く思わないのが、律法学者やパリサイ人でした。

しかし、全部が全部というなかったみたいで、認める人、そうでない人もひっくるめて、ガリラヤとユダヤのすべての村々やエルサレムからイエス様に会いに来ていました。

そうした中、

中風の病をわずらっている人とその人に寄り添う友人たちが、床のまま、イエス様のもとに運ぼうとします。

しかし、 大勢家に人々がごったがえしています。

しかし、友人やその中風の人はめげずに、

「何とかして家に入って、イエス様に会って病気を癒してもらおう」と、まさに、奇想天外な方法でイエス様に会うことになります。

この信仰を見て、イエス様は、「友よ。あなたの罪は赦されました。」と宣言しました。

■人の問題の根本である罪と悔い改め

この「罪の赦し宣言」こそ、「私たち人間の根本的必要」であることを覚えます。

罪から出る問題は多岐にわたり、

その前の記事のぺテロは、主を拠り所とせず、漁師という職業をアイデンティティとする罪であり、

結果、自分の経験に便り、自分の努力で何とかしようと夜通しで漁をしたが一匹もとれなかった。

そんな「自分の努力に限界を感じた」中、イエス様と出会い、イエス様のことばに従って漁をしたら、大漁となった。

こうして、ぺテロは、自らの罪を示され、「自分は罪深い人間です」と告白して、信仰に入りました。

このように、

「人が自分中心の罪を示され、悔い改めて信仰に入る」パターンもあれば、

次の記事では、ツァラアトの人がもう、この病気は自分の努力では、どうにも治らないと悟り、

エス様を信じて、「主よお心ひとつで、私をきよくしていただけます」と、宣言し、

これも自分の病気でなく、「主の方に向く悔い改め」です。

この信仰によって、ツァラアトは癒されました。

また、この中風の人や友人のように、もう病気で自分の力では立ち上がることが出来ない。

そこで、イエス様の噂を聞いてイエス様を心から求めてに会いに行った。

●これもまた、悔い改めですね(^-^)

■罪と病気

解説にもありますように、病気のすべてが罪によるものではないですが、

罪によって病気になるケースもあり、この人がそのケースでした。

故に、

●イエス様はその病気となった根本である罪を取り除いたことによって、病は癒されました。

そうした意味ですとこの三つのケースの根本は、「自己中心の罪という病」を抱えていて、これは、全人類共通した問題の根本であることを覚えるのです。

■今日の御言葉

■ルカ5章31節〜32節

●医者を必要とするのは丈夫な者でなく、病人です。(31節)

●わたしは正しい人を招くためでなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。(32節)

自分は自己中心の罪という病気をわずらっている!

この認識を持って、この医者であるイエス様を日々求めて行こう!

では、今日はこの辺で(^-^)

今週末もも皆さまの上に、主の恵みのシャワーが降り注ぎますように☆